美容整形に対する意識と温度差

美容整形に関する情報が日本の一般市民にも開示され出したきっかけは、インターネットの発達とホームページ閲覧環境の進歩ではないだろうか。インターネットホームページというものは、TVコマーシャルと異なり「情報を知りたいという目的を持った人」が「自らの意思で」訪れるものであるから、先に挙げたような法による制約からは自由なのである。TVコマーシャルで詳細に語られることの無かった美容整形の実際が、担当医師本人による正確で懇切丁寧な解説とともに、日本全国の美容整形外科クリニックのオフィシャルホームページサイトに掲載されるようになった。誰もが気軽にサイトを訪れることが出来、美容整形に関する長年の疑問がすっかり氷解したという人も多いのではないだろうか。

美容整形の世界がオープンになったことで、これまでのような低次元の誤解もかなり改められたかに見える。しかしそれでも日本全体、総ての世代にわたって観察すれば、まだまだ日本における美容整形への認識は低いと言わざるを得ない。これは欧米諸国や、同じアジアの中国・韓国における美容整形が持つステータスの高さを見れば一目瞭然であろう。

美容整形に対して韓国・中国国民が抱くイメージは我々のそれとはずいぶん異なる。特に韓国では、学歴・教養や資本力を示すステータスの一つとして、外国語スキルや芸術的素養、進学塾などと並んでこの美容整形が認識されているのである。わが国では近年韓国の映画・テレビドラマの人気が高まることで広く知られるようになってきたが、彼の国では「芸能人だから」美容整形を施すのではなく「現代人だから」美容整形を施すのである。そのあけっぴろげな気軽さはほとんど歯列矯正と同レベルと言えるだろう。韓国で一般市民が美容整形を利用する率が高いのは特筆すべきことだ。一方我が日本では、近年かなりイメージが向上したとはいえ、まだまだ美容整形に対する偏見が目立つ。

美容整形を施しているという事実が、日本ではなぜかひた隠しにされる。芸能人にとって美容整形を行っているという過去はスキャンダルの一種であり、ちょっと容貌のすっきりした新人がいると芸能ゴシップ雑誌が「整形疑惑」を口にする。美容整形を施すものはまるで犯罪者扱いである。こうした風潮はあきらかに間違いであるし、美容整形全体の健全な発展をおおいに阻害する低俗な「いいがかり」に過ぎない。

美容整形を特殊視する日本の文化的背景には、容貌を含めた個性を個人のものとして扱うのではなく、先祖伝来の「血」に由来するものと捉える考え方が存在する。この感覚は「家」「民族」「国家」を第一とする封建的思想の流れを汲んでおり、だからこそ芸能人の美容整形による「容貌改変」を先祖伝来の「血」や「家」、ひいては「国家」に反逆する大罪のごとくに大騒ぎするのである。美容整形をマイナスイメージで捉えることを理屈でなく国民の感覚に刷り込んでしまう文化とは、果たして健全なものと言えるだろうか。こうした観点に立てば、近年美容整形を比較的フランクに捉えることの出来る日本人が増えてきたことは、封建的「ムラ社会」をバックボーンとする日本文化にもようやく風穴が開いたことを示す証拠かもしれない。